(顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 16回 “美食の殿堂”の全貌に迫る 映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ 』
(水谷美紀の食エッセイ)
水谷美紀の食エッセイ〜食べたら書きたくなって〜 第16回 映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ 』公開中
2024年現在、ミシュランの三つ星に輝く店は世界中でたった145店。国別で見ると最多のフランスでもわずか30店しかない。そのなかで親子3代に渡って55年もの間、三つ星を維持し続けている店がある。それが今回紹介する作品の舞台となったトロワグロ(Troisgros - Le Bois sans Feuilles)だ。
本作は94歳になる巨匠フレデリック・ワイズマンが世界最高峰を意味する“ミシュラン三つ星”のレストランであるトロワグロの全貌に迫ったドキュメンタリーである。たまたま食事に訪れたワイズマンがトロワグロの料理と環境に感激し、その場で撮影を申し込んだというのだから、いやでも期待は高まる。
トータル140時間のラッシュ(未編集映像)をたっぷり時間をかけて編集した本作は、それでも4時間あり、標準的な映画とくらべると極端に長尺だ。だが驚異的なことに、本作に冗長なところはまったくない。ナレーションやインタビューシーンを一切入れず、大げさな演出を排した映像によって、我々はトロワグロのまさに“料理芸術”と呼ぶにふさわしい料理の数々と、ありのままの日常を目撃する幸運に浴することができる。
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リヨンから電車で1時間ほどの場所にあるロアンヌ。この地で1930年に創業したトロワグロは、代々続く家族経営のレストランだ。2017年にはさらに自然環境に恵まれた村ウーシュに移転し、現オーナーシェフである三代目のミッシェルと四代目の長男セザールを中心に、大勢のスタッフがここで食の追求をおこなっている。
カメラはのどかな自然のなかに建つオーベルジュスタイルのレストランと、そこで働く人々の日常業務を淡々と映していく。“三つ星レストラン”と聞くと緊張を強いられるスノッブな空間をイメージしがちだが、トロワグロは料理こそモダンフレンチだが、スノッブとは真逆のアットホームなもてなしを理想に掲げている。ガラス張りの窓越しに緑豊かな環境を楽しめる店内は開放感があり、建築家パトリック・ブシャンによる設計は自由で新しい。訪れる人々もみなリラックスした様子で美食を楽しんでいる。
マルシェでの野菜の買い出しやピクニックさながらの花摘みの情景は和やかで、いかにもフランス郊外のレストランといった牧歌的な空気を感じさせる。だがカメラがキッチンに入った瞬間、観客はヒエラルキーのトップに君臨するトロワグロの舞台裏を目の当たりにする。シェフ達の正確で流れるような手際の良さと高い理解度、ずば抜けた対応能力の高さは、これが三つ星の世界なのかと思わず息をのむ。
スタッフに短く的確に注意を与えるミッシェルと、細かい技術を自ら手本を見せて教えるセザールは、全スタッフの頂点に立つリーダーだ。だが二人に驕ったところは微塵もない。厨房には100年以上も前に書かれた名著『エスコフェ』と19世紀から発行されている『ラ・ルース百科事典』が置かれており、セザールが若い料理人と一緒にページをめくって確認し、「この2冊に大概のことは載っている」と説明するシーンは印象的だ。
カメラは料理人だけでなく、他のスタッフの日常も映し出す。オーベルジュのブッキング、ハラスメントにも配慮されたスタッフミーティング、マリアージュだけでなく価格もシビアに睨んだワインの仕入れ、一糸乱れぬテーブルセッティングetc,すべてのスタッフの姿からは、三つ星レストランで働く責任感と誇り、高いプロ意識がにじみ出ている。
トロワグロのキッチンで一日に使われる食材だけでも、いったい何種類あるのだろう。その調達だけを考えても、三つ星レストランの経営がおそろしく難易度の高いビジネスであることが容易に想像できる。
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本作でもうひとつ注目したいのが、“ミシュラングリーンスター”の文脈から見たトロワグロだ。グリーンスターとは格付けのレッドスターとは別にミシュランが2021年度版から導入している、持続可能性の⾼いガストロノミーに対して積極的な活動をしているレストランに与えられるシンボルだ。
味やサービスの質から格付けされるレッドスターとサステナブルなアクションを評価するグリーンスターの両立は容易ではなく、2024年度版ミシュランにおいてグリーンスターを与えられた三つ星レストランは冒頭で述べた145店のうち28店のみ、フランス国内でも7店しかない。その1店がトロワグロである(ちなみに日本のフレンチレストランはレフェルヴェソンス1店のみ)。三つ星の評価にグリーンスターは直接影響しないが、すでに店を選定する際の基準にする人は増えている。
家族経営というオールドファッションなスタイルを貫きながら、同時に現代のレストランのトップを走り続けているトロワグロ。そのあり方は、近年注目されているパーマカルチャーの実践であり、これからのレストランが目指すひとつの理想を実現している。
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そんなトロワグロのオーナーシェフに求められる適性は、高い料理テクニックはもちろん、飽くなき探究心や情熱、向上心、経営手腕とリーダーシップ、そして何より、料理を作ることと客をもてなすこと両方に喜びを感じる人間であることだろう。大勢のスタッフを長年引っ張ってきたミッシェルは、その特性をすべて兼ね備えた人物だ。
現場をセザールに譲ったとはいえ、今もキッチンに立って腕をふるい、生産者のもとにも自ら出向く。どんなに忙しくても各テーブルをまわり、料理について、あるいは自分自身について実に楽しそうに饒舌に語る。時には客の希望に応じて自らキッチンの案内までおこなっている。
そんなミッシェルの姿は、間違いなく料理人が、そして三つ星レストランのオーナーシェフが天職であることを物語っている。若き四代目であるセザールも同じだろう。これはトロワグロ家に脈々と受け継がれた天性なのかもしれない。そして、これまで代々オーナーシェフはトロワグロ家の男性が務めてきたが、将来的には女性がオーナーシェフに就任する日が来るかもしれない。まだ赤ちゃんである愛娘が登場するシーンに、思わずそんな未来が頭をよぎる。
1960年代、銀座マキシム・ド・パリの初代料理長だった父親(二代目のピエール・トロワグロ )の影響で幼い頃から日本に関心をもっていたミッシェルは、フランスのシェフのなかで日本の食材と料理技術をいち早く取り入れた人物としても知られている。本作でも日本独自の食材である赤紫蘇を効果的に使っており、技術指導にも「生き締め」など日本料理からの影響を感じさせる。
その縁もあって東京に誕生した「キュイジーヌ【S】ミッシェル・トロワグロ 」だったが、2019年に惜しまれつつ閉店した。そのため、現在トロワグロの料理を味わいたければ現地に行くしかない。映画を観終わったとき、多くの人はきっとウーシュの自然豊かな環境で自分も至福の食体験をしてみたいと思うだろう。中には必ず行こうと心に決める人もいるはずだ。そんな贅沢な目標が芽生えてしまう、実に魅惑的で罪な4時間である。
(作品情報)
『至福のレストラン 三つ星トロワグロ 』
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほかで絶賛公開中
第58回全米映画批評家協会賞 ノンフィクション映画賞 受賞
第89回ニューヨーク映画批評家協会賞 ノンフィクション映画賞受賞
第49回ロサンゼルス映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞受賞 他
監督・製作・編集:フレデリック・ワイズマン『パリ・オペラ座のすべて』『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』
出演:ミッシェル・トロワグロ、セザール・トロワグロ、レオ・トロワグロ、マリー=ピエール・トロワグロ、トロワグロで働くスタッフほか
原題:MENUS-PLAISIRS LES TROISGROS/2023年/240分/ビスタ/モノラル/仏語・英語/アメリカ/日本語字幕:丸山垂穂/配給・宣伝:セテラ・インターナショナル/宣伝協力:テレザ
セテラ・インターナショナル創立35周年記念作品
公式サイトwww.shifuku-troisgros.com
公式X https://twitter.com/troisgros_movie
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