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    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第11回 佐藤錦と「はんかくさい」の謎

    (水谷美紀の食エッセイ)

    水谷美紀の食エッセイ〜食べたら書きたくなって〜 第11回は、さくらんぼ「佐藤錦」のお話。

    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第11回 佐藤錦と「はんかくさい」の謎
    7月に入って値段も手頃になり、気軽に食べられるようになったさくらんぼ。果物のなかでは珍しく体を冷やさないといわれており、エアコンで冷えがちな今の時期でも安心して食べられる点もいい。見た目も愛らしく「果物の宝石」「小さな恋人」と呼ばれているが、なかでも特に人気の高い品種が佐藤錦だ。

    日本一のさくらんぼの産地といえば山形県で、長年首位を独走している不動の王者である。一方、栽培されている品種の割合は時代とともに移り変わっており、現在では人気だけでなく生産量一位も佐藤錦だという。少し前までは佐藤錦といえば希少な贅沢品という位置づけだったのに、いつの間にか一番多く売られているメジャーな品種になっていた。

    子供の頃は佐藤錦という名前すら知らなかった。それどころか生のさくらんぼを食べた記憶がまったくない。我が家の家計の問題というわけでもなく、産地に近い東北や関東とは違い、わたしの故郷で当時さくらんぼといえばプリンの上にのっていたりレモンスカッシュに入っていたりする真っ赤な缶詰のチェリーのことだった。ちなみにあのさくらんぼは佐藤錦ではなくナポレオンという品種だそうだ。

    さくらんぼが登場する小説といって真っ先に思い出すのは太宰治の『桜桃』だ。家事も育児もすべて妻まかせにして自分はなにもしない主人公の作家が、家庭内の重苦しい空気に耐えられず、馴染みの女がいるバーに逃げ込む。そこで出されるのが大皿に盛られた桜桃(さくらんぼ)だ。

    家で待つ妻や子は桜桃など見たこともないだろうと思いつつ、作家はそれをお土産にすることもなくあえてひとりで食べてしまう。令和の時代に書かれていたらバッシングされそうなキャラクターだが、小説自体は今読んでも見事である。

    今回、久しぶりに読み返してみて新たに発見したのは、さくらんぼと太宰の関係だ。当時の東京でさくらんぼは今よりずっと高級品で、庶民には馴染みの薄い果物だ。だが主人公の分身であり、東北(青森)の名家の息子だった作者・太宰にとっては、ごくごく食べ馴れた果物だったに違いない。実際、桜桃忌と命日の名にまで使われているさくらんぼは、太宰の好物だったという。

    調べたところ佐藤錦が誕生したのは1922年なので、1911年生まれの太宰も佐藤錦を食べていただろう。小説に描かれたのは佐藤錦だったのか、あるいは当時たくさん食べられていたナポレオンか、それとも佐藤錦の片親種でもある最古種の高砂だったのか。想像すると楽しい。

    **********

    ところで、佐藤錦を見ると決まって思い浮かぶ顔がある。まさにさくらんぼの産地、山形県出身のR君だ。わたしにとって初めてできた東北出身の友人であり、最初に食べた佐藤錦がR君のくれたものだったからだ。上京直後にアルバイト先で知り合った彼とは男女を超えてウマが合い、やはり宮城出身であるA子とわたしの3人は同い年ということもあって、特に仲良くなった。

    R君は冗談の好きなおもしろい男子でギターとオセロがうまく、「豪雪地帯の人間は冬に外で遊べないから、ギターとオセロと卓球がうまくなる」といつも言っていた。山形なら将棋もうまいのではと思ったが、将棋は苦手なようだった。アルバイト先は17歳〜23歳の若者が30人以上も在籍していた大所帯の飲食店で、まるでサークルのような楽しい職場だった。

    ある時、故郷から戻ったR君がお土産をくれた。さくらんぼのリキュールと生のさくらんぼだった。それを見てはじめて山形がさくらんぼの産地だと気づいた。するとそばにいたA子が「もしかして佐藤錦? おいしいよね、大好き!」と言った。さとうにしき? どうやら品種のことらしいが、初耳だった。“砂糖錦”と一瞬、頭の中で漢字変換されたが、佐藤錦と書くという。生みの親である佐藤栄助という人にちなんでつけられたということも、そのときに教わった。

    R君とA子によると、東北出身の彼らにとってさくらんぼは小さい頃から身近な果物で、りんごやみかんのように、ごく気軽に食べていたという。その話を聞いて、上京するまで故郷を出たことがなかったわたしはカルチャーショックを受けた。同じ日本でも住む場所によってこんなに食生活が違うなんて……。県民性や郷土食に目覚めた瞬間である。

    はじめて間近で見た佐藤錦は見とれるほど美しかった。真っ赤な缶詰のチェリーしか知らなかったので、少し黄色の入った光沢あるルビー色は新鮮だった。さらに食べてみて、張りのある果皮の食感に驚いた。シロップ漬けとは違うジューシーな果肉と酸味もある爽やかな甘さは大げさでなく衝撃で、この日からさくらんぼが大好きになった。

    農林水産省が出している「さくらんぼの品種構成の推移(特産果樹生産動態調査)」によると、昭和55年頃まで佐藤錦のシェアはさくらんぼ全体の約30%程度しかなく、約60%を缶詰用に多用されるナポレオンが占めている。ところがグラフを見ると平成に入った頃から佐藤錦の生産量がぐんぐん伸びており、贈答品や特別な水菓子としてばかりでなく、一般家庭でも気軽に食べられる旬の果物として全国的に広まっていったことが手に取るようにわかる。

    さらに平成元年、ほぼ時を同じくして輸入チェリーが完全自由化になった。それまでさくらんぼにはボージョレ・ヌーボーのように解禁日が設けられていて、その日より前に販売することは許可されていなかった。この年を境にアメリカンチェリーと呼ばれる輸入チェリーが自由に日本に入ってくるようになり、さくらんぼは日本人にとってますます身近な果物になったのだ。

    わたしがR君に佐藤錦をもらったのも、ちょうど同じ頃だ。そしてこの直後から、スーパーや八百屋の店頭でさくらんぼを目にする機会は一気に増え、佐藤錦というブランドをわたしを含めた多くの人が認識するようになった。

    現在ナポレオンの生産量は減り、紅秀峰や紅さやか、黄色いさくらんぼの月山など、数は少ないが人気の品種と合わせて30%弱ほどになっている。そして40年前と逆転するような形で、今は約73%を佐藤錦が占めている。そのため昔は「佐藤錦かそうでないか」が選別の基準になっていたが、現在は高級志向にともない、同じ佐藤錦のなかでも品質による差別化が進んでいる。ちなみに銀座千疋屋で販売している桐箱入りの佐藤錦(24粒・300g)は税込28,410円。一粒1,183円(!)の計算になる。まさに小さな宝石だ。

    ところで、R君でもうひとつ思い出すのが方言だ。ふだんは完璧な標準語を話していたが、ときどき冗談モードに入ると、彼はわざと方言を使っていた。そのときによく言っていたのが「はんかくさい」という謎の言葉だ。

    いつ、どういうときに使っていたのか、詳細はもう記憶にない。けれども、照れたような、からかうような場面のときに決まって、R君は「はんかくせー!」と叫んでいた。それどういう意味? と尋ねてみたが、「バカくさいでもないし、うーん、はんかくさいははんかくさいで、他に言い換えられない」と言って細かく説明してくれなかった。そのため、R君に「みっちゃん(わたし)はんかくせー!」と言われても、怒っていいのか笑っていいのかすらわからず、「えーなにそれ」と言って軽く眉間にシワを寄せるのが精一杯だった。

    後年「はんかくさい」は山形独自の方言ではなく、北海道発祥の方言だということがわかった。標準語にすると「ばかげだ」「あほらしい」という意味らしい。だが、細かいニュアンスはわからない。

    似たような意味でわたしにとって馴染みのある言葉に、おもに関西の方言である「しょうもない」や愛知や岐阜などの方言である「とろくさい」があるが、どちらもその言葉でしか表現できない独特のニュアンスが含まれている。きっと「はんかくさい」も同じだろう。それにしても、ほんとのほんとのところ「はんかくさい(半可臭い)」ってどういう意味なんだろう? どう使えばいいんだろう? 今だに謎のままである。

    R君が山形にUターンしてから、もうずいぶん経つ。A子も体調を崩して宮城に帰って以来、ずっと会っていない。幼馴染みのように仲が良かった当時のメンバーのなかには彼らのように故郷に帰ってしまった人、海外に行ってしまった人、連絡先がわからなくなってしまった人も多く、全員で集まることは多分もう不可能だろう。あの頃は毎日のように会えることが当たり前だったのに。

    良きパパとなったR君は今もギターでビートルズを弾き、さくらんぼを食べ、茶目っ気たっぷりに「はんかくせー!」と言っているだろう。佐藤錦のシーズンになると、決まってこの不思議な方言と、いつも人を笑わせていたR君を思い出す。


    撮影協力:澤田美奈(スイーツロータス)


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