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    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)第7回『いちご畑をもう一度 いちごの思い出』

    (水谷美紀の食エッセイ)

    顧問 水谷美紀さんの食エッセイ。
    第7回は『いちご畑をもう一度 いちごの思い出』

    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)第7回『いちご畑をもう一度 いちごの思い出』
    実家の裏庭にいちご畑があった。

    小さな裏庭の、そのまたほんの一角だけだったけど、物心ついた時すでにそこはいちご畑で、毎年春になると母がせっせと育てていた。小さくて丸い形のいちごだった。

    縁がギザギザした三つ葉、可憐な白い花、真っ赤でコロンとした実。どこをとっても愛らしく、くせのない味もいい。その頃から今も、いちごは大好きだ。

    幼い頃のわたしは春になるといちご畑に座り込み、観察するのが日課だった。最初は小さな粒でしかなかった果実が少しずつ大きくなり、赤く色づき、やがてお店で売っているのと変わらないものになる。なんておもしろいんだろう。どれだけ見ていても飽きなかった。母はいつも「いちごは育てるの難しいんよ」と言っていたけれど、その割に口ぶりは楽しそうだった。植物を育てるのが上手い母が手こずっている様子はなく、わたしの目には水をやっているだけですくすく育っているように見えていた。

    眺めている時間もよかったが、一番嬉しいのはもちろん食べるときだ。収穫といっても一回につきせいぜい小さなボウル一杯ほどだったけど、下の兄と大喜びし、一緒につくった『いちごの踊り』(ただ「いっちご、いっちご!」と歌い、両手を左右交互に上げながらまわるだけ)を舞って祝った。洗ってガラスの器に盛られたいちごはツヤツヤで、宝石みたいだった。なんといっても我が家の貴重な農作物だったので、いつも以上に時間をかけて大切に食べた。

    といいつつ当時のいちごは見た目ほど甘くなかったので、途中からは牛乳とグラニュー糖を入れ、今で言う味変をしていた。いちご形の先割れスプーンで実を半分ほど潰し、甘いいちごミルクにするのだ。毎回「そのまま食べるのがおいしいのに」と言われたけど、いちごを潰すとじゅわっと赤い液が出て、混ぜると牛乳がピンクに染まるのが好きだったので、譲らなかった。

    そうして順調にいちごへの愛を育くんでいたわたしは、さらに幼稚園で運命的な出会いをする。『いちごばたけのちいさなおばあさん』(作・わたりむつこ 絵・中谷千代子/福音館書店)という、今も人気の絵本だ。いちご畑の地中に住む小人のおばあさんが、春になるとお日さまと緑の石で赤い水をつくり、刷毛でいちごに塗っていくというお話だ。小人のおばあさんにとっていちごは巨大で、そのとりあわせにすっかり魅了された。おばあさんが自分の家のいちご畑にもいると空想したり、自分が小人になっていちごを塗っている姿を思い描くと、楽しくてたまらなかった。

    この絵本に紫が多用されていたことも、幼いわたしを夢中にさせた。絵を描くのが大好きだったわたしは、愛らしいいちごの絵本に大人っぽい紫が使われていることに衝撃を受け、強烈にかっこいいと思ったのだ。その印象は今でも変わらない。改めて大人の目で見返しても、この絵本は抜群にセンスがいい。作画の中谷千代子がやはり大好きな『ジオジオのかんむり』(作・岸田衿子/福音館書店)の絵も描いている世界でも評価の高い絵本画家であり、東京美術学校で梅原龍三郎から油絵を学んだ人だと知るのは大人になってからだ。

    *****

    いちごの歴史は古く、野生種のいちごなら古代から世界中で食べられていた。日本でも『いちびこ(伊致寐姑)』という名で日本書紀に載っており、平安時代の宮中行事や制度の規定を記した『延喜式』にも記されているという。

    現在のいちごに近い品種が日本に到来したのは江戸末期で、オランダから長崎に運ばれたことから『オランダいちご』と呼ばれていた。水菓子という言葉が残っているように、当時の果物は今以上にデザートの意味合いが強かったようだが、この時代にオランダいちごを口にできた日本人は、ごくひと握りの者だけだったろう。

    その理由には、栽培の難しさもあったという。江戸時代にはうまくいかず、明治に入ってようやく子爵で宮内省の宮廷園芸技師だった福羽逸人(ふくば・はやと)が成功させ、初の日本ブランドである『福羽いちご』が誕生する。一時期トップシェアを誇っていた女峰は福羽いちごの子孫にあたるのだそうだ。福羽いちごは当初、新宿御苑にある皇室のための栽培園でだけ育てられていたが、やがて一般にも栽培が認められるようになり、じょじょに庶民にも広がっていった。

    その後、大正、昭和、平成と時代は流れ、いちごはお殿様や皇族だけが口にできる贅沢品ではなく、手軽に食べられる親しみのある果物として定着した。ところが露地物が安く手に入るようになったこともあって、やや定着し過ぎたようで、多くの人に愛されてはいるものの、ありがたみは薄れつつあった。わたし自身も好物であることは変わらなかったが、近年のいちごに対する印象は『定番』『平凡』といったものになり、同じベリー系ならラズベリーやフワンボワーズのほうが価値が高くおしゃれな果物だと感じるようになっていた。

    そんないちごが近年、再び脚光を集めている。人気フルーツに返り咲いただけでなく、むしろこの数十年で一番、いちごのブランド価値は高くなっているのだ。

    ここまで人気になったきっかけのひとつに、花見時の『いちごスパークリング』が考えられる。2012年頃、人気の花見スポットで売られるスパークリングワインの容器が、ただのプラカップからシャンパングラス型の足つきカップにかわり、さらに大粒のいちごも入ってぐっと魅力的になった。この写真がSNSで拡散され、『いちごスパークリング』は一気に全国に広がった。さらに串にいちごを数個刺した『いちご串』も登場し、いちごは「映える」「カワイイ」フルーツとして再発見されることになる。

    産地や品種のブランド志向がより強まったのは、そのあとに到来したパフェブームの影響だろう。有名カフェや老舗のパーラーがこだわりの高級いちごを使ったことで、買う側も品種や産地をこれまで以上に意識するようになった。

    現在(令和3年)はフルーツサンドが大流行中だが、さまざまな高級フルーツを使ったサンドイッチがあるにも関わらず、断トツで人気なのはいちごサンドなのだとか。白いパンとクリームに真っ赤ないちごの組み合わせはシンプルだけど美しく、同じ色合わせである日本生まれのショートケーキによって刷り込まれた日本人の幸福感に、ストレートに訴えかけるのだろう。

    人気が出ると品種改良が進むのは世の常で、今は砂糖やコンデンスミルクを必要としない、そのまま食べても十分に甘い高糖度のいちごが主流になりつつある。近年のいちごは粒が大きい傾向にあるが、これは豪華で見栄えのするいちごが消費者に好まれるからという理由だけでなく、生産者側の事情も関係しているという。小粒だとそのぶん数が多く必要になるので手間がかかるし、いちごは硬い皮に覆われていないので傷みやすく、流通の過程でロスも出やすい。粒を大きくすれば同量でも個数が減るので、手間もロスも減る。緩衝材が使える高級いちごなら尚さらだ。そんな事情もあってか、高価格帯のいちごも増えており、桐箱に入った贈答品や自分へのプチ贅沢用の高級いちごの市場も熱い。

    圧倒的な知名度を誇る『とちおとめ』や『スカイベリー』(栃木)、『あまおう』(福岡)『とよのか』(佐賀)『べにほっぺ』『章姫』(静岡)などのほか、ひと粒が約80gある1粒1万円の『美人姫』(岐阜)や、商標登録されている白いいちごである『天使のいちご®』(愛知・正式な登録品種名は『ももいろほっぺ8号 』)、いちごのスイーツ専門店ICHIBIKOを経営する農業生産法人GRAの“食べる宝石“『ミガキイチゴ』(宮城)等々、百花繚乱の状態にある。まさに今、日本は空前のいちごブームなのだ。

    現在、日本にいちごは約300種あるが、この数は世界のいちごの半分以上を占めるという(それゆえに種苗の盗難など知財を巡るトラブルも多い)。この数字を見ても、いかに日本人がいちご好きかがわかる。わたしも含め、日本人は世界でも類を見ない“いちごLOVER”の集団であり、日本は世界一のいちご大国なのだ。

    *****

    このエッセイを書くために、母に当時のことを聞いてみた。そもそもどうしていちごを育てようと思ったの? という質問に、母は「採れたてのいちごを食べさせたかった」「いちごが成長する様子も見せたかった」と答えた。冒頭で書いた、自分が嬉しく感じていたこととぴったり一致している。わたしの喜びは、まったく母の思惑通りだったのだ。

    遠い記憶をひっぱり出してあれこれ話しているうちに、当時なんとなく抱いていた違和感を思い出した。あの頃、毎回ボウルいっぱいいちごがあったけど、わたし自身がせっせと摘んだ記憶がないのだ。

    たしかに毎回何粒かはちぎったけれど、ボウルいっぱいになるほどは摘んでいない。それはずっと一緒にいた兄も同じはずだ。いちごを摘むのは楽しい作業だから、本来なら子どもにやらせるはずなのに、なぜ少ししか任せてもらえなかったのだろう。まさか、本当は買ってきていたとか? 再燃した疑問をぶつけたところ、母の口から「それはカニが……」という思いがけない言葉が。カニ? 

    母によるといちごを好きなのは人間だけでなく、特にアリとカニ、そしてナメクジ(!)はいちごが大好きで、気をつけていないと食べられてしまうのだとか。水郷の町である故郷にはカニがたくさん生息しており、子どもの頃は雨が降ったり台風が近づくと、玄関先や道路にカニが何匹もやって来た。そのカニ達がいちご畑を襲撃していたなんて。

    しかもカニはいちごの食べ頃が的確にわかるらしく、母が「明日あたりそろそろ摘もうかな」と思っていると一足先にやって来て、完熟したいちごだけをハサミで器用にちぎってみんな食べてしまっていたという。こうして何回かカニに先を越された母は学習し、それならカニが来る前に摘もうと、わたしが寝ている(そして多分カニも)朝のうちに100%ではなく98%熟したいちごをいち早く収穫していたのだ。わたしの知らないところで母とカニの間で激しい攻防が繰り広げられていたとは思いもしなかった。

    *******

    そんな初耳の秘話も含め、幼児期のわたしに楽しい記憶を残してくれたいちご畑だったが、残念ながら小学校二年生のときに消滅した。家の増築のためにいちご畑だけでなく裏庭そのものが潰され、なくなったのだ。

    あのときから数十年が経ち、最近は街の花屋でも季節になると可愛い植木鉢に入ったいちごの木(苗)を見かけるようになった。品種改良は果実だけでなく苗にも及び、初心者でも簡単に栽培できるいちごが増えたかららしい。花屋で売られているいちごも、きっとその一種だろう。それなら母と違って植物を育てるのが下手な“枯らし屋”のわたしでも、育てられるかもしれない。よし、来年はプランターを買って、ベランダに小さな小さないちご畑をつくってみよう。都会のマンションにまで、カニは来ないだろうから。


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