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    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)第3回『歳神様は鏡餅がお好き』

    (鏡餅)

    顧問 水谷美紀さんの食エッセイはじまりました。クリエイティブディレクター・コピーライターとして活躍する美紀さん。
    全国料理教室協会では、「伝える文章表現にもこだわる料理教室講師にー!」を目標に、美紀さんからもアドバイスをいただいていきますよ〜!
    こちらのページでは、全国を取材し続ける美紀さんワールドな食エッセイです。第3回『歳神様は鏡餅がお好き』。

    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)第3回『歳神様は鏡餅がお好き』
    新年の準備に欠かせないのが、鏡餅。今年こそはこだわるぞ、と思っていたのに、結局どこにでもある小さな鏡餅を買ってしまった。

    パックに入った、プラスチックのおもちゃのような鏡餅を見ていたら、小さい頃の餅つきの情景が浮かんで来た。そういえば子どもの頃、鏡餅を作るのが好きだったっけ。しかも手前味噌ながら、なかなか上手だった。毎年大量の鏡餅をせっせと作っていたので、自然と鍛えられたのだ。

    父親の実家で毎年行われていた餅つきは、年末の恒例行事だった。祖父母と伯父一家が暮らす家は山の近くにあり、周りは田んぼや畑に囲まれていた。隣家には当時(1970年代~80年代)としても珍しい藁葺き屋根の馬小屋が建っており、おとなしい馬が一頭飼われていた。同じ市内でも商店街や旅館、料亭が立ち並ぶ水郷の町に住んでいたわたしに山里の風景は新鮮で、遠い場所に連れて来られたような気がしたものだ。

    台所もガスコンロや炊飯器を使っていた自分の家とは違い、かまどと土間のある“おくどさん”で、煮炊きには薪が使われていたのも懐かしい。餅つきになると二台のかまどでは追いつかず、土間にブリキで囲った臨時のかまどをこしらえ、三台をフル回転させてもち米を蒸した。

    冬の日は短い。明るいうちに餅をつき、世帯分の鏡餅や切り餅、豆や食紅を加えたかき餅を作るのは大変だ。普段は宴会好きな我が一族も、この日だけはにわか職人軍団に変身し、次から次へと米を蒸し、餅をつき、こねて伸ばし、切っていく。ぼやぼやしてはいられない。

    そのため、お餅をつかせてとせがむわたしや下の兄、同世代の従兄弟など子どもに対し、大人が優しいのは最初だけだった。「そうかそうか、やってみるか」「重いぞ~大丈夫か?」と言って杵を持たせてくれ、時には一緒に手を携えて、よいしょー、よいしょー、とつかせてくれるのは、わずかな時間。一人3回もやると「さ、もうええやろ」「はよせんと硬(かた)なるしな」と言って追い払われた。本当は子ども抜きの餅つきを存分に楽しみたかったのかもしれない。

    米を蒸すのはかまどを使い慣れている伯母や従姉たちが担当。つき手は父と双子の伯父で、そこに他の親戚や、戦力になりつつあった8歳上の兄が加わる。片や相棒となる返し役は、手返し名人だった母。そんな最強のメンバーでどんどん餅はつかれていった。仲は良かったものの、普段さほど気が合っているように見えなかった父と母の組み合わせのときが、一番リズミカルでテンポも早く、抜群のコンビネーションだったのが印象的だった。

    「大人ばっかりやって、つまんない。あーあ帰りたい」。チビのくせに戦力外なのが不満で毎回ふてくされていたわたしだったが、ある年、変化が訪れた。

    例年通りちびっこコーナーに追いやられ、きな粉やあん、大根おろしでからめた餅を食べるのにも飽きて手持ち無沙汰でいたところ、「ちょっとそこどいてー」と声がし、目の前ののし板にドンと、つきたての餅が置かれた。驚いていると、湯気を立てた大きな餅の塊を母が小さくちぎり、ぽんぽんと板の上に投げていく。

    「小さいおかがみさん作るから、あんたもやってみ」

    退屈しきっているわたしを見ていたのだろう。失敗してもダメージの少ない小さい鏡餅を作るメンバーに加えてくれたのだ。

    母はちぎった一つを取り、作り方を教えてくれた。コツは「とにかく表面をつるつるにすること」。「おかがみさんって鏡のことだから、表面が綺麗じゃないとダメ」とのことだった。鏡餅が丸い鏡を模したものであることを、そのとき初めて知った。

    見よう見まねで作ってみたら、なんとか形になった。それを見た母は「それくらいの大きさが50個、上に載せるちょっと小さいのも50個いるから、どんどん作って」と言い残し、餅つき作業に戻っていった。そんなに作るの! と驚いたけれど、やってみると、無心になれる鏡餅づくりは楽しかった。

    その年からわたしは鏡餅係になり、表面つるつる、表面つるつると念じながら、毎年、大量の小さな鏡餅をせっせと作った。やがて上達してくると、大きい鏡餅も作らせてもらえるようになった。大人になったら、母の代わりにわたしが手返し役になるのかな。当時はそう考えていた。

    ところがそんな日は訪れなかった。やがてわたしは上京し、帰省もろくにしなくなり、餅つきに参加することはなくなった。父親が入院した頃から、餅つき自体も行われなくなった。結局故郷を出てから今日まで、一度も鏡餅を作っていない。最後に餅をついたのは、いつだろう?

    *****

    近年、ノロウィルス対策もあって、餅つきも当時より衛生管理が徹底されるようになった。ついた餅は食べず、食べるための餅を別に用意する餅つき代行サービスの会社も出て来ている。今年は新型コロナウィルスの影響で開催を中止したり、参加人数を絞った餅つきも多かったという。一方で、厄を払い、福を呼び込む行事として(感染対策を万全にした上で)積極的に餅つきを開催したところもあるようだ。

    簡単に自宅でできる自動餅つき機は昔と比べて格段に美味しくなったし、家の中で餅つき気分を味わいたい人向けに、ミニサイズの餅つきセットも売られている。そんな風に現代の餅つき事情は少しずつ変化し、多様化もしているが、どれか一つ選んでいいと言われたら、やはり子どもの頃と同じオーソドックスな餅つきにするだろう。ただしその時は鏡餅係ではなく、つき手がいい。すっかり忘れていたけれど、杵がばしっと上手く餅にヒットすると、ものすごく気持ちがいいのだ。

    招福のお供えである鏡餅は、歳神(としがみ)様の依り代とされている。一年の幸福をもたらしてくれる歳神様が来たとき、留まる(憑依する)場所が鏡餅なのだ。他にも橙=代々の長寿と繁栄、ウラジロ=お清め、御幣=魔除け等々、鏡餅と一緒に飾るものにもそれぞれちゃんと意味がある。

    そんな鏡餅の由来となっている鏡は、諸説あるものの、三種の神器の一つである八咫(やた)の鏡だと言われている。

    天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に隠れ、この世が闇に覆われたとき、もう一度光を取り戻そうと天照大御神を外に誘い出すために使われたのが、八咫の鏡である。天の岩戸がある三重県出身者としては特に馴染みのある、よく知られた記紀神話だ。

    今の世界の状況は、天の岩戸の場面に似ているように思う。2020年は世界中が新型コロナウィルスという闇を共有する一年となった。withコロナとも言われるように、新型コロナウィルスを完全に撲滅することは不可能に近いだろう。けれども時代は常に前にしか進まない。さまざまな問題を解決する光は必ず生まれ、これまでとは違った新しい時代が始まるはずだ。重く閉ざされていた天の岩戸は、すでに開き始めている。そんな風に考えるのは楽観的過ぎるだろうか。

    来たる2021年は世界のあらゆる問題が少しずつ改善され、明るい出来事がひとつでも多く起こって欲しい。そんな願いが叶うよう、小さな鏡餅を眺めながら、歳神様の訪れを待っている。


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