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    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第9回「かくも長き、いかなごの不在」

    (水谷美紀の食エッセイ)

    水谷美紀の食エッセイ〜食べたら書きたくなって〜 第9回は、いかなごのくぎ煮のお話。

    (顧問 水谷美紀の食エッセイ)食べたら書きたくなって 第9回「かくも長き、いかなごの不在」
    SNSの普及によって知名度が上がった郷土料理はたくさんある。関西で春の年賀状ともいわれるいかなごのくぎ煮もその一つだろう。播磨灘沖の漁場が有名ということもあって兵庫の郷土料理とされているが、故郷の三重でも伊勢湾で獲れたいかなごのくぎ煮は春を知らせる季節料理だ。

    縦長の三重県のなかでも北(北勢)にある故郷は関東と関西の文化がぶつかる場所で、関西イントネーションの人間と名古屋弁の人間がナチュラルに共存している。食文化に関していえばビーフカレー(関西)とポークカレー(関東)の境界エリアで、今は転勤族や移住者が増えたためかなり崩れただろうが、昔は本当に川ひとつ越えるときっちりビーフカレーからポークカレーに切り替わっていた。ちなみに我が家はビーフカレーエリアだ。

    この魚に関しても、関西での名称(いかなご)と関東での名称(こうなご)が入れ混じっている。スーパーに行くと兵庫県産のものには“いかなごのくぎ煮”、愛知県産のものには“こうなごのくぎ煮”のラベルが貼られて売られていたりする。もちろん、どちらも同じ魚である。本稿では混乱を避けるため、いかなごで統一する。

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    いかなごのくぎ煮はしょうゆ、みりん、酒、ざらめ(砂糖)、しょうがで生から煮詰めていく生炊きが一般的だ。なかには水飴を加えて固めている物もあるが、旬のくぎ煮は水飴を使わずふっくら柔らかく炊くのが王道だ。曲がった釘に似ているからくぎ煮という名前がついた。各家庭で炊いたものを贈り合うのも古くからの風習で、物心ついた頃から春になると必ず食卓に並んでいた。

    ただ以前も書いたが子供時代は極端な偏食だったため、例に漏れずいかなごのくぎ煮も苦手だった。小さい頃に大きさの似た白魚の踊り食いを食べさせられたことがあり、それがトラウマになっていたのだ。そりゃなるだろうと今でも思うのだが、自分以外の子供は喜んで食べていたっけ。

    それなのに東京で一人暮らしを始めたら、なぜか母親から毎春いかなごのくぎ煮が送られてくるようになった。おもに食料が詰められた生活感と愛あふれる“ふるさと段ボール”のなかに、大体は旬を同じくする夏みかんと一緒にしれっと母お手製のいかなごのくぎ煮が入っているのだ。

    夏みかんは大好物だ。それは母もよく知っている。そしてくぎ煮が苦手だということも彼女はよーく理解している。はずなのに、ハテこれはどうしたことだろう? 当時からフードロスを出すことはポリシーに反していたので、冷酷な娘はお礼の電話ついでに毎回「これさー、送ってくれるのはありがたいねんけど、もらっても食べへんし。つかそれ知っとるやん」と告げていた。仲が良いからこその直球だ。けれども母(今思えばまだ50代)は「せやかてやっぱり季節の物やし、故郷の味が恋しなることもあるやろ? 上手に炊けたから食べてみ」と、意に介さない。

    うーん。どうせ食べないんだよなあ。そう思いながらも届いたものは仕方がないので冷蔵庫にしまうのだが、案の定なかなか減らなかった。たまに罪悪感に駆られて一尾つまんでは「……(やっぱないな)」を何年も繰り返していた。

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    いかなごとのそんな冷ややかな関係に大変化が起こったのは、30代に入ってからだ。きっかけはTKG、卵かけごはんだった。ある日、卵かけご飯を食べたいと思ったが、必ず付け合わせる焼き海苔も海苔の佃煮(おすすめです)もなかった。醤油だけで食べるのはちょっと寂しいので何か合いそうな物はないかと冷蔵庫を開けた瞬間、隅かつ奥に追いやられていた“あれ”が目に入った。そして他にめぼしい物はナシ。いい加減に片付けたい気持ちだけでなく良心の呵責もあったので、数尾を取り出し、ダメ元で卵かけご飯に乗せて食べてみた。

    あれ? 何これ、おいしい!!

    なんと卵かけご飯+いかなごのくぎ煮は、ものすごく合ったのだ。なぜこれまで誰も教えてくれなかったんだろうと軽く腹が立つほど、くぎ煮入りTKGはおいしかった。カルシウムも摂れるし、ひょっとするとこの組み合わせ、海苔の佃煮に次ぐヒットでは……。予想外のマッチングにひたすら驚いてしまったが、実はいかなごのおすすめ調理法にはくぎ煮以外に卵とじがある。苦手だったため認識していなかったが、もともと卵と相性のよい魚だったのだ。

    この年以来、いかなごのくぎ煮は冷蔵庫の厄介者(ごめん)から春限定のTKGパートナーに昇格し、みるみる減りも早くなった。それまで「どうだった?」と褒めを求める母に対し、うんとかああとか適当なことを言って誤魔化していた冷酷娘が一転、「今年のもおいしいわ〜辛過ぎず甘過ぎずちょうどいい味。お母さんさすが」などと、心からの賞賛コメントを返せるようになった。
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    その後、さすがにふるさと段ボールは卒業し、母から送られてくることがなくなってから、わたしの中でいかなごのくぎ煮は「あれば食べる」程度の存在に落ち着いていた。ところが8年前、電話で母から意外なことを告げられた。

    「今年は作れないのよ」。母には珍しいしょんぼりした口調に、最初は単に買いそびれたのだと思った。ところが事態はもっと深刻で、そもそも売っていないと言うのだ。よくよく聞いてみるといかなごが激減して漁場から姿を消したため、禁漁になっていた。不漁ではなく禁漁とは、かなり深刻だ。そのときは田舎の小さな町だけの話だと思っていたが、いかなごの壊滅的な減少は伊勢湾だけに限らず全国的な現象で、そのことを知った兵庫の人々の間に激震が走ったため、その後ニュースでも大きく取り上げられた。

    ただその時は「そんな年もあるんじゃないの〜?」と母にも軽く返し、禁漁もその年限りだろうと高をくくっていた。だが翌年も、その翌年も、伊勢湾でのいかなご漁は禁漁となり、結局8年連続で今年(2023年)も禁漁になってしまった。ここまでくるといよいよ心配になってくる。「当たり前に存在していたものがなくなる」ということをこんな形でリアルに体験するとは。冷蔵庫の隅で余らせていたくぎ煮が、幻の料理になるかもしれないなんて。

    現在、播磨灘や大阪湾は解禁日を限定して慎重に漁をおこなっているが、その漁獲高はやはり激減したままだ。そのため当然、価格は高騰している。昔は気軽に買えたからどの家も鍋いっぱい炊き、あちこちに配っていたわけなので、贅沢品になってしまっては、そんなほがらかな風習も廃れかねない。実際、高価格だからと作るのをやめてしまった人は多いという。

    東京ではどうなんだろうと思い、近所の魚屋を見てみた。すると少しだが“こうなご”の名前で生魚もくぎ煮もちゃんと売られていた。今回初めて知ったが、首都圏周辺では鹿島灘で一番獲れるのだという。価格はやはり通常よりかなり値上がりしていたが(100グラム500円相当)購入し、まずはくぎ煮だけをそのまま、その次はいつも通り卵かけご飯にたっぷり混ぜて食べてみた。

    うん、やっぱりおいしい。

    故郷から離れて数十年、存続の危機に瀕してようやく「春はくぎ煮」の心境がわかり始めた。




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